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管理人のひとりごと~マイネルエスケープ

 この馬の話を詳しく書くとかなり長くなるんだけど、まず出資動機から。単純に父メジロマックイーンってのが決め手。あと馬券でお世話になったマチノコマチが近親というのもあった。
 2000年、2歳の夏に栗東の佐々木晶三厩舎に入厩。初戦を6着のあと、2戦目でクロフネの2着。続く未勝利戦を順当勝ちしてラジオたんぱ杯へ。いまや伝説となったあのレースで4角までレースを引っ張ったが5着。年が明けて2001年京成杯、直線で抜け出し重賞制覇のチャンス!と思ったのもつかの間、道中エスケープをマークしていたボーンキング@ハリソンに差されて2着(今思えばもしハリソンがプレジオをマークしていたら勝てただろう)。と、ここまでは割と順調な競走生活だったが、以降苦難の時代が続く。京成杯の直後に馬房で目を負傷。これが治ってクラシックへ、というところで骨折。半年休養後復帰するも体調不良でまた放牧。翌2002年春の復帰後も今ひとつの成績が続き、2003年には美浦の堀宣行厩舎に転厩、障害入りも検討された。そして夏の函館に+50kgという衝撃的な馬体重で登場、結果はしんがり負けだったが、数戦叩いた後、札幌の阿寒湖特別で急に変わり身を見せて2着。中央場所に戻った10月の中山、九十九里特別ではついに約3年ぶりとなる2勝目を飾った。
 知らない人にとっては単なる条件馬だが、ここまで浮き沈みの激しい馬はそうはいないだろう。自分にとっても一口馬主にどっぷり浸かるきっかけとなった馬であり、ほとんどのレースをライブで観戦していることもあって、特別な馬だとは思う。これからまだ活躍が期待できるし、引退後もあちこちから乗馬、誘導馬の誘いがあるそうなので、とりあえずは無事に長く走ってこれからも楽しませてほしい。


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